Story of Hawaii
ハワイの歴史を語る時、クック船長のハワイ諸島発見から始めるのを常としていましたが、それより1000年以上もの古代からハワイには固有の歴史文化を持つ人々が住んでいました。ここではハワイの伝承に基づき上古のハワイ、さらには神々の時代まで遡って紹介致します。
The Days of Gods and Goddesses...神々の時代
文字を持たなかった古代ハワイでは神宮や巫女がオリ(祝詞)やメレ(詠唱)を通して歴史や戒律を伝承していました。様々な伝説があり、同じ伝説でも内容が違ったりしますが、カラカウア王の命により1800年代後期に編集された『クムリポ』は日本の古事記や旧約聖書の創世記と同じく、天地創造とハワイ諸島の誕生、神々の時代の伝承を集成したものです。クムリポによると、古代の時代に存在したのは始めも終わりも無い時間だけの世界。次に訪れるのが暗闇の中に終わりの無い時間だけが続いていた世界でした。しかしある時、暗闇の淵に突然生命が溢れ出してきました。そして様々な植物や『クムリポ』と呼ばれた男、そして『ポエレ』と呼ばれた女が次々と生まれ出てきました。次に来たのが夜明けです。暗闇がついに明光に席をゆずり、神々が地上に降りてきたといいます。
太陽の扉を開ける空の男神の『ワケア』、神々の母でもある大地の女神『パパ』。この2神の間に生まれたのがハワイ諸島だそうです。
まず長男のハワイ島が生まれました。次にマウイ島、ホオラヴェ島が生まれました。ところが、産後の疲れを癒す暇もなく次々に子供が生まれてくるのに疲労困憊したパパは休憩を取りに単身タヒチへ行ってしまいます。後に一人残されたワケアは手持ち無沙汰でもあり寂しくもあり…『カウラ』を第二の妻として迎え入れました。そして生まれたのがラナイ島です。それでも欲求不満なワケアは第三の妻『ヒナ』を娶りモロカイ島をもうけます。
やがてワケアの行動は遠くタヒチで休憩中のパパにも伝わり、夫の浮気を耳にしたパパは早速ハワイへ舞い戻り、ワケアの腹いせに若く精悍なルアと恋仲になりオアフ島をもうけます。そんな訳でワケアとパパの結婚生活は決して平穏ではなかったですが、もともと相性は悪くなかったらしく、結局2神はよりを戻してカウアイ島、ニイハウ島、カウラ島、ニホア島をもうけます。
後の時代にカプ・チーフとしてハワイ諸島の勢力を二分することになるハワイ島とマウイ島を治めていた部族『ウル』とオアフ島とカウアイ島を統治していた部族『ナナウル』の二つの家系は、『キイ』と『ヒナコウラ』というハイ・チーフの間に産まれた『ウル』と『ナナウル』と呼ばれた2人の息子達と遠い先祖に当たるワケアとパパを通して天地創造に携わった3神のうち『カネ』と呼ばれた神にまでつながっているといわれます。
To The Heavenly Homeland in The North
...北洋の故郷・天国の島への航海
神々の時代の伝承にも先ず最初にその名が現れるハワイ島は、ハワイ人の祖先がやってきたと言われるポリネシア諸島に最も近い島です。
現在でも噴火を続けているマウナロア山は南太平洋の島々から大海原を3000KM以上も北上して来た人々にとって絶好の目印となったでしょう。古代ポリネシア人達が始めてその足跡を印したのはいつ頃の事なのでしょうか。
考古学的な資料とハワイやポリネシア各地に残る伝承と照らし合わせた結果、ポリネシアのマルケサス諸島からハワイへの大掛かりな移住が始まったのは紀元5〜6世紀という説が近年では有力になってきています。
古代から高度に発達した航海術と造船術を持ち合わせていたマルケサスの人々は、18〜24mもある相胴カヌーをあつらえ、一族30人あまりと新移住地で必要な諸々の物を乗せてやってきました。
太平洋のど真ん中に火山活動で造られたハワイ諸島は一番近い大陸から3200km、他の島々からも800km以上も離れています。いわば完全隔離状態で成長を遂げた島々にはマルケサス人がやってきた時、ネネ(ガンカモ科、一時は絶滅の危機にあるとされていたハワイ固有の鳥類約70種の1つでハワイ州の鳥に指定されている)やアララ(カラス)、イオ(タカ)をはじめレフア(火山の女神ペレの花とされ、ペレに祈りを捧げずに手折りすると雷雨が起こるとされる約2000種以上の原産植物のひとつ)ハワイ固有の鳥類や植物だけが繁殖していました。哺乳類ではモンク・シール(アザラシ)とホーリ・バット(コウモリ)が棲息していただけです。ココ椰子やバナナ、タロ芋、パインの木、ヤム(甘藷料)、砂糖キビ、そして様々な用途に使われる瓢箪やティ(魔よけの力があると云われ葉で食物を包んだりフラ・スカートを作ったりする)も初期の移住者達によってハワイ諸島へもたらされたものの一部です。
彼らが最初の移住地として選んだのがハワイ島最南端にあるプナ地域でした。
その後5世紀の間ハワイ諸島では平和な日々が続いたそうです。
部族間の争いもなく、当時マルケサス諸島で盛んに行われていた人食いの風習もすっかり忘れ去られていました。
自然環境の厳しかった故郷の島々と違って豊沃な自然に恵まれた島々には土地はいくらでもあり、後続の移住者も次々にやってきました。
やがてこの楽園の日々に終止符打たれる日が訪れたのは12世紀になってからの事です。同じポリネシア人でも文化、風習が異なるタヒチの人々が島々を制圧する目的で大拳してやってきたのです。
この時からハワイ諸島の宗教と社会制度は大きく変わる事になりました。
伝承によると、タヒチからやって来た高級神宮パアオはハワイの族長達のマナ(霊力)が彼が仕えるタヒチの族長ピリのマナに劣っているのは、ハワイの神々の力がタヒチの神々の力に劣っているためだとし、パアオはハワイ島プナ地域のワハウラにハイアウ(神殿)建立し、戦いの神『ク神』を祭り厳格なカブ(戒律)制度を設けて新しい社会秩序を確立したといいます。
ミイラ化した祖先崇拝の宗教しか持たず、身分の上下や世襲の習慣もない素朴な社会制度しか持たなかったマルケサス人達は、平和な時代から5世紀もの間続いているうちに勇敢と獰猛で知られていた祖先の習癖をすっかり忘れてしまっていた。ある者は戦いで殺され、捕らえられた人々はク神への生贄として捧げられえるか奴隷として組織に組み入れられていった。
こうして先住のマルケサス人達はハワイ島からマウイ島へ、さらにオアフ島からカウアイ島へと次々に北の島へと追いやられ、新しく海を渡ってきた勢力に制覇・吸収されていったのです。
タヒチ、ハワイ諸島の行き来は、その後、約100年程続いたらしい。
しかし何故かある時から航海が途絶えてしまい、天国の島ハワイ諸島は約5世紀もの間ポリネシア人からも再度忘れ去られてしまいました。
ハワイ諸島が再び歴史に登場するのは、クック船長が3度目の太平洋探検航海中に偶然オアフ島を発見した1778年1月18日の事です。
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